2016年8月30日火曜日

分離14 女性呪術師ラ・カタリーナ

最近、エントリーがやたらと長くなっているので引用などは原本の書籍にまかせてなるべく分量減らしたいと思っています。

さていよいよ『分離したリアリティ』のメインイベント「ラ・カタリーナ」との対決です。
1969年9月28日にドン・ファンを訪問すると留守で、以前に起きたカタリーナとの一件の影響でドン・ファンの家にひとりきりでいるととにかく恐怖を感じるようになっていたといって過去の事件の回想が語られます。

『ドン・ファンの教え』で少し触れた1961年11月23日のドン・ファンの脱臼の話に続いて10日後(1961年12月3日?)に訪問すると怪我はケロっと治っていました。
それからちょっとした旅に行こうと誘われます。ラ・カタリーナを監視するんだそうです。その日の夜まで監視するので「音を立てずに」坐る方法を習います。

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右足を左ももの下におしつけ、左足はあぐらをかくような格好にしておうように。
右足は素早く立ち上がるためのスプリングとして使う。(体術)
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女の家のある西側を向いて坐って見張りましたがこの日は失敗でした。
それから数か月、カタリーナについて語らなかった(分離254)ドン・ファンがある日興奮して「くろうた鳥」にやられるところだったと言ってカルロスにショット・ガン(散弾銃)で撃ち殺すように言われます。
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心臓の鼓動が激しくなり耳鳴りがした。わたしは闇のなかで狙いを定め、両方の引き金を引いた。
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両方の引き金?あたしは銃の知識がまったくないので調べましたら、こんな動画を見つけました。
引き金が二つある鉄砲なんてものがあるんですね。
ま、ハーモニカもいろんなのあるものなぁ。

あるんですね~、でも動画の銃砲店のご主人は危険なので絶対にしないようにおっしゃっています。

『水平二連銃の両引き、引き金を同時に引くとどうなる?』



結局、この鳥撃ちはしくじってしまいます。
ドン・ファンは前以上に自分の命が危なくなったので、最後のチャンスだと言われイノシシの足でカタリーナのヘソを突き刺せと言われます。(分離259)

カルロスはヒットマンを引き受けるには躊躇がありましたがドン・ファンの命を守るためついに決心します。夕暮れになるとイノシシの足を使った一連のまじないのような動作をさせられてます。(分離260)(体術)

翌朝、ドン・ファンに案内された道端でカタリーナを待ち伏せすることになりました。
ドン・ファンのキュー出しでカルロスはカタリーナを襲いますが、目の前にいたはずの彼女が瞬時にハイウェイの向う側に移動したように思えました。今回もカタリーナにすんなりかわされドジをふんだカルロスはパニックに陥ります。

しかし、なんとドン・ファンは一連のカタリーナとの対決はすべてトリック(仕込まれた芝居)だったと打ち明けます。

知者は自分の弟子にわなをしかけにゃならんのだ。これが規則なんだよ」(分離263)と言います。久しぶりに「知者」が出ました。

ドン・ファンはカルロスに自己放棄などを学ばせるためにこの課題を実施したと言います。

彼女に自分のツメを示したから、あいつはお前が恐れておらんことがわかったはずだ。お前をトリックにかけるために彼女を使ったのは、彼女が強くて冷酷で絶対に忘れんからだ

怒るカルロスにドン・ファンは自分の師にもっとひどい目にあったのだと言います。
ドン・ファンの辛い年月については後半に驚愕のストーリーが待っています。

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あの女は自分の力を試すのに彼を使い、本当に殺そうとしていたのだと厳しい口調でつけ加えた。
「もうあいつもわしにからかわれとったことを悟ったろう」
「あいつはトリックじゃないんだぞ」
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ドン・ファンにはかなわないと知ったカタリーナは次からはカルロスを狙うだろうと言います。
カルロスはカタリーナにつけ狙われることを思い恐怖におののきます。
一巻目の終わりと同じく弟子をやめようとまで考えます。(分離265)

以上がラ・カタリーナ事件の顛末です。
この章の冒頭でドン・ファンの家が留守だったので恐ろしくなった~怖いと言えばカタリーナだ~という回想になったわけですが、一度、出直して来てからが以下です。

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ドン・ファンの家に戻るとトリックの一連の流れを踏まえ戦士の心得、”見る”ことについて、そしてカルロスに対する期待についての長口上があります。このあたりドン・ファンの教えを実践なさる方々はお読みください。(分離266)

その後、カルロスの盟友(水の精霊)との出会いでの失敗の原因についての言及があります。
カルロスが自分の楯をなくしたのがいけなかったのだと言います。
(前には、自分を投げ出してしまったからだと言われますが、表現としては似ていますね。)

楯とは「人のすること」だそうです。
人のすることがなぜ(身を守る)楯になるのかいまひとつわかりませんが、シリーズ後半では「しないこと」という用語が登場します。なにか関係がありそうです。

ドン・ファンの戦士の心得話はさらに続いて「心のある道」についての助言をします。
カルロスはそういわれても努力しているのだがうまくできないんだといいます。

するとドン・ファンは「お前は考えすぎるししゃべりすぎる。自分に話しかけるのをやめにゃいかんよ」と言われます。
この考え方も継続的にでてきます。
頭の中で自分に語りかかる状態を「内的対話」と呼んだりします。そして内的対話をやめる状態をドン・ファンは「世界を止める」と表現します。

わしらは自分のなかのおしゃべりでわしらの世界を守っとるんだ」(分離271)

世界は言葉でできている」いますからあたしにしては珍しくドン・ファンの言っていることはよくわかります。

内的会話を止めると世界のあるべき姿が見えるそうです。そのためには目から重荷をとりさり耳を使うように言われます。(分離272)


「世界は理解できんものだ。本当の神秘だ!」(分離273)
「戦士は世界を永遠の神秘として扱い、人のすることを永遠の愚として扱うのさ」
ドン・ファンは今後も世界はだと言い続けます。

ああ。今回も結局長かったですね。

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