2016年7月25日月曜日

戦いの形 (教え11 魂の奪回)

この章が『ドン・ファンの教え』の最終章で、カルロスは非常に恐ろしい体験をした結果、1965年の9月に弟子を一旦辞めることになります。

一旦辞めるというより、この本(『ドン・ファンの教え』)の執筆時には、完全にやめたつもりになっていました。
その後、カルロスは、1968年4月に『ドン・ファンの教え』が出版された時、この本をプレゼントするためにドン・ファンを再訪します。
弟子を廃業してから3年近く経ってからのことです。

さて、その65年9月。
幻覚誘発性植物を取り過ぎたために、普通のときにも「非日常的現実の特別な状態」に精神が陥いることが多くなり自分がおかしくなってきてるのではないかと思い始めます。

悩みを相談したカルロスにドン・ファンがそれは何者かに罠をかけられ「魂を失っている」ためだと説明されます。

ドン・ファンがカルロスの魂を奪った者を探しに行く間、自分の最良の場所に胡坐をかいてとどまり、身の危険を感じたら「戦いの形(fighting form)」をとるよう指示されます。

戦いの形とは、一種の踊りのようにふくらはぎと右足の腿をたたき、左足を踏みならす動作だそうです。
これってよくわかりませんな。

原文をチェックしました。
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It consisted of clapping the calf and thigh of my right
leg and stomping my left foot in a kind of dance I had to do while facing the attacker.
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「戦いの形」は、攻撃者に相対している間、踊りのような感じで右足の腿とふくらはぎを(手で)叩いて、左足は踏み鳴らす。(体術)
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ふくらはぎが「右足」ということがわかりました。
でも、同時に右足の太ももとふくらはぎを叩くのはどのようにやるのでしょう?
いや待てよ、右足の膝を曲げた状態なら右腕全体で腿とふくらはぎの側面を一度に叩けますよね。
そのとき、左足を踏みならすって?右足を曲げているわけだから中腰でやるのかな?
ま、いいか。自分でやるわけでもなし。

また、本当に危険(命が危ないとき)な時は小石を投げろ、怖くなったらメスカリトの歌を唄ってもよいだろう、とも言われます。
本当に危ないかどうかなんてどうやったらわかるんだ?とカルロスは問いますが、当然ですよね。ドンファンは叫び声が上がるような状態だといいます。

実際に、この後、ドン・ファンの偽物に襲われそうになったときカルロスは恐怖のあまり叫び声を上げ地面から拾った石を投げつけます。

む。「地面」? やはりカルロスの「最良の場所」ってポーチじゃなくて庭のようですね。

ドン・ファンのフリをした相手は手を変え品を変えカルロスを誘い出そうとしますが、カルロスはぎりぎりのところで難を逃れます。
カルロスは、直感的に、ドン・ファンの偽物は若くて太った女だったと思います。

みごと魂を奪いかえす戦いに勝ったあと、ドン・ファンとの反省会でも相手が女呪術師(ディアブレ)だと教えてもらいます。

彼女はディアブレラで強力な助手(盟友ではない)を持っているそうです。
助手は世界の一方に住んでいる霊でディアブレロが病や苦痛を引き起こすのを手伝います。

例のごとく、この「助手」という呪術用語はシリーズのここでしか登場していないと思います。
用語の使い方といえば、この章ではドン・ファンの恩師(後に名前で語られるナワール・フリアン)のことを「わしの恩師はディアブレロで戦士だった」と述べるくだりがあります。

どうも、ドン・ファン自身は、ディアブレロではなく呪術師であるとの認識なのですが、ディアブレロと呪術師は違うのでしょうか?

次の引用をご覧ください。
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わしには心のある道、心があるかもしれない道を最後まで進んで行くしかないんだ。そこを旅して、わしにとってする価値のあることはその道を最後まで進んで行くことだけさ。そしてそこを旅するんだ――息もつかずに目をみはってな(教え220)
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これは英語版の裏表紙にも記載されているドン・ファンの最も有名な言葉ですが、この直前に、
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今日、わしはもう戦士でもディアブレロでもない。
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とあります。わかりません。じゃ、なんなの?(追記その説明?
だって、カルロスに戦士になれっていってたじゃない。

ドン・ファンは、カルロスにディアブレロになるために特に学ぶべきことは「二つの世界の裂け目までどうやって行き、どうやってもう一つの世界に入るかってことだ」(P220)と語りますがディアブレロでなくても(呪術師でも)学んでいるようでこうした職能の違いがよくわかりません。

しかも、ドン・ファンはディアブレロという職能にはあまりいい印象を持ってないようなのになぜ、ディアブレロになる方法を教えているのか?単に話が広がっただけかもですが。

さて、この体験の後、謎の敵に勝利したとわかっていても、また夜になって同様の恐怖を味わってもう耐えられないと観念し弟子をやめることにし、自分は知者の第一の敵、恐れに敗れてしまったと思います。


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