2016年10月7日金曜日

『呪術師の飛翔』(2) 概要と紹介2/2

タイシャの本が出た92年は、カルロスがドン・ファンから独り立ちして10数年経った時代のものなので「マジカルパス」という健康術を開発していて本の中でも頻繁に登場します。

そこで邪推ついでに余談をひとつ。

以前、カスタネダの『無限の本質』がフロリンダ・ドナーの構成とそっくりと書いたことがあります。その時は、『魔女の夢』もフロリンダではなくてカルロスが書いたものかもと思っていました。

しかし『無限の本質』は1998年発行、カルロスが亡くなった年の発行です。
カルロスは72歳で他界、その前に糖尿病により視力はほとんど失われています

ですので、前回あたしの邪推はそそっかしい勘違いでしたが、逆にカルロスではなく『無限の本質』の著者もフロリンダだったという可能性もありえるかもしれません。

話をもとに戻しまして『飛翔』の方は、カルロスの手によるのではないかと思う理由がもうひとつあります。

『イクストランへの旅』のおさらい「旅18 呪術師の力の輪」の回で、一度書いていますが、カスタネダの本には、ドン・ファンやドン・ヘナロがカルロスをコケにして馬鹿笑いをするシーンが多く登場します。

タイシャの本は、登場人物たちは異なりますが、タイシャの呪術教師たちが同じように、さして面白くもない場面で弟子である主人公タイシャをコケにして笑い転げるシーンが何か所も出てきます。

例)
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クララが大笑いした。あまりに激しく笑いすぎて、息を切らしながらベッドの上にひっくり返ってしまったほどだ。(飛翔236)

二人がどっと吹き出した。(飛翔255)

エミリートが堰を切ったように笑った。あまりにも激しく笑いすぎて、むせばぬよう、行ったり来たりしなければならないほどだった。(飛翔355)
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どちらの本も場面がいつでも師匠と弟子の対話集なので、ややもすると単調な内容になってしまいがちです。

そこで書き物として会話の間にいろいろな気分転換のシーンを入れ変化をつける必要があったのかと思います。

あまりにも『飛翔』と「ドン・ファン・シリーズ」のテクニックが似ているので、そちらはそちらで、あたしは同じ書き手(カスタネダ)ではないかと疑っているわけです。

実は、Amy Wallaceの本で、カスタネダのグループには非常に優秀な作家も一人いることも知りました。しつこいようですが、フロリンダの『魔女の夢』と『無限の本質』がとても似通っていてレベルも高いので、そちらはそちらで勘ぐっています。


この『飛翔』を退屈なイメージにしているのは内容と出版社の編集力に加えて日本語訳が非常に年寄りくさいからというのもあると思います。

随所に下記のようなとんでもなく古くさい日本語表現があります。

例)
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「私の価値を一体何だと心得る?」
「そりゃあ簡単至極よ。」
「しかしこちとら、そんなお気楽な気分ではなかった」
「まあ、お食べなさいな。でもそれについては、しじゃこじゃ言わないこと」
「勘違いもはなはだしいですな。お嬢さん」
「どういう意味でしょうか、旦那様?」
「ご冗談でしょう、」
「耳の穴かっぽじって、よーく聞いてよ」
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思いますにこの本の翻訳者は、相当年配なのでは?年配のあたしにいわれたくないと思いますが。

予算の関係でこの本に関しては原文を手に入れていませんが、たとえば上記の「旦那様」はSirで「お嬢さん」は、なんでしょうね?young ladyですか?もっと親しくbabyとかsweet heartでしょうか?
無理にすべてを日本語化しないで省略してもよかったのでは?

それと、この方は、人がセリフを言うときのカギかっこ(「」)の最後の閉じのかっこ(」)の手前に句点のマル(。)を入れています。

これは厳密なルールではないそうですが読書好きの慣れの問題で、プロなら「。」つけないだろうという印象を持ってしまいました。
おそらく編集者がどれくらい手を入れてくれているかにもよると思いますが、これはあたしだけの印象ですのでご容赦ください。

その点、ドン・ファン、シリーズの方は難解なドン・ファン用語もいい感じで訳しているし、登場人物たちが生き生きとしてとても腕が立つ翻訳者なんだなぁとあらためて思いました。

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