2016年9月30日金曜日

旅16 力の輪

1962年4月14日。
食料がつきてきたので今回の旅を終えるとドン・ファンが宣言します。しかし、「ソノラのドン・ファンの家へはもどらず、国境の町へ行くと言った」(旅276)そうです。

どこなのでしょう。気になりますな。

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溶岩山の高原を北西に向かって歩きはじめた。
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途中、峡谷でまた山を見つめさせられます。

ここまで読み込んできますと、ドン・ファンによる呪術のトレーニングはとにかく「知覚の拡張」あるいは「知覚のパラダイムシフト」を行うものだと言えるのではないでしょうか?

「目」を使うことが多いですが、逆に「音」だけで知覚する訓練も集中して行ってきています。

さて目をこらしてますと突然山が輝いて見えます。
じっとみているとどどろきが聞こえた。それはつけてきた盟友(山の実体)がたてた音だと言います。
ドン・ファンが小石を指示し、それを掘り出し、カルロスの力の物にするように言われます。子供もよく石を宝物にしますな。

二人が歩き続けると、途中南から四人の若い男のインディアンたちがこちらへ向かってきました。彼らはドン・ファンに恭しく接し、力の水晶を捜しているといいいました。
四人は呪術師の弟子だそうです。

若者たちの坐る方角が奇妙なのに気付いたカルロスにドン・ファンが「力のある物を狩りに行くときは、輪をつくって二人がその中心で背中合わせになるのが規則」だと言います。(旅280)
同じ弟子なんだからカルロスにも教えておいてほしいですよね。カルロスはきまりが悪く感じます。

ドン・ファンが若者たちに、二人が盟友につけられてきていると話したところ、みな左足首を尻の下にしてすわりなおしました。(旅281)(体術)

その姿勢はものごとが定かでないときに呪術師が使うものだ」とドン・ファンが言います。ふーむ。

片方の足をお尻の下にはさむ坐り方はこれまでも登場しています。「瞑想用の体勢?」それとも「敵を見張る時の体勢?」それともここでいうように「ものごとが定かでない時の体勢?」。

ドン・ファンが水晶は、呪術に使う武器だという説明をします。
水晶を武器にする話は、タイシャ・エイブラーの著書『呪術師の飛翔』に詳しく書かれています。可『飛翔』のエントリーまでペンディングとさせてください。

ドン・ファンが見せるものがあるというと彼が起こしたたき火がいきなり高く炎をふき上げました。

すると、たった今いた場所と違うところからドン・ファンが海賊のようなコスチュームを着て現れたのです。後から皆で話し合うと全員がちがう姿のドン・ファンを見ていたことがわかりました。

若者たちと別れる際、彼らの姿が暗黒を背景にした一列の真っ黒な影にみえ、急に背すじに悪寒がはしり、怖くなり小走りで「力のあしどり」で走って去ります。

後に、彼らがもしかすると盟友だったのかとカルロスが尋ねますが、たしかに呪術師の弟子たちだが彼らが(カルロスより進んでいて)「しないことの力」に触れられていたからだとドン・ファンが答えます。(旅290)

そして1962年4月15日の日誌になります。
この日は『教え』の98ページで「四つの敵」についての話を聞いています。同じ日にこなせるかどうか確認しましたが大丈夫でした。・・・・あたしはいったい何やってるんだか。

さて、若者たちと別れ、ふともについてから車にのり、地名が明かされていない国境の町へ着きました。

ドン・ファンの変装は「しないこと」の効果だと言います。

食事をしながら人が生まれたときから持っている「力の輪」と「しないこと」の関係を話します。
出会った若者たちにくらべ自分が劣っていると感じ、自分が呪術師になる資格はないといじけてしまいます。

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