2016年7月26日火曜日

閑話休題 肩甲骨の間

今に至って、シリーズ後半を読んだ後知恵の感想ですが、カルロスの「魂の奪回」においてのディアブレラとの戦いはカルロスが疑った通り、非常によく仕組まれた、はたまた質(たち)の悪いドン・ファンによる修業の仕掛けだったと知れます。
ドン・ファン自身もその恩師から騙されてもっとひどい仕打ちにあっていますし。

カルロスの場合は、この偽ドン・ファンとの対決、そして二巻目以降に続くラ・カタリーナとの対決(もちろんこれもドン・ファンの仕掛けです)、そして高校卒業試験?のような「深淵へのジャンプ」の3つが弟子としての覚悟を試される大型イベントと言えましょう。

今回、積ん読状態になっていた日本語版ドン・ファンシリーズを読み進めてみまして、後半、つまり『力の第二の輪』以降に、前半四部作の修業時代にわれわれ読者にまったく語られていなかった非常に多くの出来事があったことが明かされます。

それは、カルロス当人が「通常の意識状態」になくドン・ファンの手により「高められた意識状態」に起きていた事だからだという話になっています。

「高められた意識状態」になっている間の人の行動や思考は、「通常の意識状態」に戻っている時にはまったく忘れられているのです。
この「高められた意識状態」になっている間の忘却内容を思い出すのもどうやら修業の一環のようなのです。

そのことについてはエントリー「メスカリト問答」の項目でちょこっと触れました。

「メスカリトがあんたを連れて行ってくれるとき何が見える?ドン・ファン」
「そういうことは普通の会話の時は言えんな」(教え104)

この「高められた意識状態」という発想が商業的に続刊を発売するための発明(方策)だったという穿った見方もできますが、実際に修業の初期から存在していた状態とすると上記の会話が確かに示唆していると言えなくもありません。

弟子になって日の浅いカルロスを高められた意識状態に持っていくにはドン・ファンはカルロスの背中、肩甲骨の間を強く叩くのだそうです。この動作でカルロスの意識の集中ポイントをずらすのです。(体術)

そこで、あらためて読み直してみても少なくとも一巻目には肩甲骨の間を叩く場面はありませんでした。かろうじて上記の対話が示唆しているだけです。

次回から二巻目の『分離したリアリティ』に入ろうと思いますが、再読で背中を叩く場面があることを願ってやみません(笑)

追記)それっぽい箇所を見つけましたが・・・・※リンク切れのためpending

追記2016/6/6)上の追記のリンク先が切れてしまっていてどこかわからなくなってしまいました。その代わりこちらはいかがでしょう?

2巻目かどうかあやふやですが、少し記憶に残っているのは、ドン・ファンがカルロスを床の上でごろごろ転がす場面だけです。転がす場面を何度も書いているくらいだから、背中叩く情景描写あってもおかしくないと思うのですが・・・。

追記)上記の文章、皮肉がわかりにくいかと思うので野暮ですが、付記しておきますと「高められた意識」という考え方が商業的に後付けで発想されたアイデアなのでは?と心配しているわけです。

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