2017年3月16日木曜日

Amy(82) 2007年版に寄せて(2/2)

Hainesによると、カルロスの学位取得活動の初期、常にカルロスが言っていたとおり、メキシコに薬草を探しにいっていたそうだ。そこで彼は年老いたヤキ・インディアンに出会った。その人物はGrandfather Cachoraといって、カルロスは彼とある取り決めをしたそうだ。

Cachoraは、呪術を~十分に~教えた。その結果、三冊の本はベストセラーになりカルロスは有名で金持ちになった。当初の取り決めでは、本の売り上げの半分をカルロス、残りの半分がGrandfatherに行くことになっていた。Grandfatherはその資金をヤキの生活向上に役立てるつもりだった。

Cachoraというヤキ・インディアンについては、このカスタネダのおさらい活動の中でネットの中で出会いました。2012年あたりの記事が日本語情報も検索にかかってきます。
また、これまでのポストのなかでたまに登場するSustained Reaction sutainedaction.org )というサイトでは彼についてのディスカッションがなされています。このあたりいずれ読んでみようと思っていますが、現時点ではペンディングとします。こちらの記事でも触れています。)
(pending)

このAmyの話で少し気になるのは、カルロスが論文を書いた時、ハナから商業的な本を出版する話が最初からあったのだろうか?という点です。
カルロスが野心家であるのは確かですから出版する気があったかもしれませんが、ヒットするかどうかはたまた出版化されるかは不明です。
したがってこうした取り決めを当初からするのは少し変な気もします。
ま、「売れたら山分けね」と言ってあったのかもしれませんね。

Cachoraと仲間たちは、幻覚性植物の混合したものをカルロスに与えた
カルロスは大騒ぎをしだして空を飛べると言い出した。立ち会ったヤキインディアンたちは彼が峡谷に飛び込まないようにカルロスを木に皮のベルトでしばりつけたそうだ。

また横入りします。
カスタネダ批判の代表、デミルがカスタネダの作品を虚構としている最も重要視している要素がヤキ・インディアンは幻覚性植物を使わないという要素です。
また実際にヤキに属するネイティブアメリカンもBBCのドキュメンタリーの中で、そのようにも述べています。
Cachora氏がヤキであるのは間違いがなさそうですので、だれかが間違っているか真実を告げていないということになりますね。

カルロスは激しく抵抗したそうだ。
確かにカルロスは著書の中でこの体験について書いている。

またまたあたしの間抜けな話ですが、そんなシーンありましたっけ?

三冊は、ナンバーワンベストセラーだった。
カルロスは、約束を破って稼いだ利益をぜんぶ自分のものにした。Hainesによると、ずうずうしいことにカルロスは再び、Chachoraのもとを訪ねてもっと呪術についておしえてほしいと言ったそうだ!
約束を守らなかったので、彼は追い返された。

カスタネダの読者は、しばしば彼の本のレベルが急激に下がっていると言う、無味乾燥な学問的なものになっていく。さらに悪いことに、ドン・ファン(Cachora?)は別の次元にいなくなってしまうのだ。

そうして、シリーズは中心となる――古来から続く、師と弟子の葛藤、愛、そして冒険などの――ダイナミズムを失ってしまう
カルロスは、ドン・ファンの役割を与えられるがシリーズは最初の三冊のような詩的な高みには決して至らない。

これは、カルロスが実際にヤキ・インディアンのドン・ファンが存在したときの内容とカルロスが創作したただのフィクションとの違いといえるのではないだろうか。
こうした話は結局、白黒つくものではなく、どこかその間にあるのかもしれない。

カルロスは、彼のクラスの中でいつもの謎めいた発言をした。

だから、僕はくだらない本を書くことにしたんだ!何を言えばいい?僕は確かにくだらない本を書いたさ!なぜだかはわからない!」彼は心から笑っているようだった。生徒もつられて一緒に笑っていた。
私は、こうした、ふざけた自虐ネタを聞くたびにいつも居心地の悪さを覚えていた。

『Sorcerer's Apprentice』では、人間の心の複雑さについて疑いを持ったままにならないようにした。
私はこの本は、悲惨について書いたもの、痛みと歓喜と涙についての本、そしてなによりも素晴らしくて、クレイジーな男への私の深い愛と彼の私への愛についての本だと言っておこう。

(この後、カルト研究者、Eric Hofferの引用。飼い猫とのエピソードは割愛します)

いよいよ付録を除いて最後になりますが、カルロスって『クヒオ大佐』に似てると思いませんか?さだめしエイミーは、松雪泰子ですか?

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