2016年9月12日月曜日

旅7 近づき難いこと(1)

1961年6月29日。

この一週間ちかく、ドン・ファンに動物の行動について教わってきたとあります。

これは『教え』の方ではカルロスの「最良の場所」事件の後の話ということです。

「うずら」(quails)の捕獲と料理に関する薀蓄はじめドン・ファンの自然に対する接し方についての話から宇宙にはいろいろな姿があるといった話になります。

この世に、おまえが考えとる世界しかないなぞとどうして言える?だれがそんなことを言う権威をおまえに授けてくれたんだ?
「この世界が別なふうに存在するという証拠がないもの」とわたしは言い返した。

この時点では、メスカリトとも会っていませんし、カルロスはこの後、いやというほど不思議な体験をしますが、いつまでたっても納得しないところがありまして、ドン・ファンもいいますが頑固者です。

ドン・ファンはカルロスを丘の上に連れていき、「風」にまるで意志があるかのような現象を体験させます。風のなかにかくれていてぐるぐるまわるうずまきや、雲や、霧や、顔みたいなものを見させようとします。

「自分で考えているようにしか世界はありえないなどと信じこむのは、まったく愚かだ」と彼が言った。「世界は神秘だ。とくに夕暮れどきはな
彼はあごで、風の方向を示した。「こいつは、わしらについてくることもできる。わしらをくたくたにすることも、殺すことさえできるだろう」
「あの風が?」
「今ごろ、つまり夕暮れにはな、風なぞないんだよ。あるのは力だけだ」

1961年6月30日(旅103)

昨日の「風」がカルロスを狙っているということで家にこもっていました。
ドンファンが『強情な風』といったように擬人化した表現を使うことに強い違和感を持つカルロスですが、あたしはわかります。(「怒っている風」)

狩人は夕暮れと、風にかくれている力を利用し、その力が狩人を庇護の下おくといいます。
その庇護は、マユみたいに狩人を密封するのだそうです。

だから「狩人は原野にだって寝ていられる。しかも、ピューマやコヨーテやかぶと虫(slimy bug)だって、そのじゃまはできんのだ」(旅105)

かぶと虫は、原文では上記のようにスライミーバグですからぬらぬらしたムシです。とにかくなぜドン・ファンたちが屋外にいるそうしたものたちに煩わされないのか説明(?)されています。(pending)

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