2006年6月6日火曜日

怒っている風

長年乗っていると頻繁に乗っている時期、淡々と乗っている時期、間引いて乗っている時期と様々です。

今のカワサキに乗る前は経済的な事情もあって大分前に購入していたホンダの250を使っていましたが、あまり熱心な乗り手ではありませんでした。

なので、家人を説得して再び(*1)カワサキにこぎつけた時、「久しぶり」に乗った気分がしました。
そして、それなりに熱心に乗ってみると何かが違う。何か世界が違っているのです。

その一。
昔と今と風が異なっている。風が荒々しいのです。
宗教やら哲学めいて申しわけないですが、かつてはオートバイに乗って風にあたると実存感や、コリン・ウィルソン言うところの至高体験(*2)を味わえたのですが、さっぱりなのです。

あたしは勝手に人がもたらした環境の激変に風が怒っていると思っているのですが、単に自分が老化して感性が鈍っているだけかもしれません。

次に、異なっているなと思ったことは自動車の運転手たちの行動です。
これも荒々しく苛苛しているような気がします。以前(たとえば20年前)であれば自動車の運転手はよくもわるくもオートバイについてはあまり意識していませんでした。異なるモードの乗り物と捉えていたのか、あたしたちをわずらわしいとは感じていないよ うでした。

ところが現在は、自動車の分際でやけにオートバイを目の敵にして追い越そうとしたりする運転手が多いように思えます。
時には本気でぶつけるのではないか?と思うこ ともあります。これもまた自分の運転が老化でとろくなっているだけかもしれませんが、他のオートバイとの走行関係を見る限りでは自分の運転手法はさほど変化はして いないようなのです。

だから、先頭を走っていて赤信号になっり停止する際、車線の中央でとまらないようにすることにしました。気が変になっている運転手にわざと追突されないためです。
車線中央を走っていても停止にいたる過程で車と車の間、車線の上にとまるようにしています。

*1)後述
*2)「至高体験」。ひとことでいうと、「お!いま悟ってる。」といった感覚。誰しも経験があるハズ。

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