2016年7月31日日曜日

念の入った芝居 (分離2 見ることと眺めること(1))

1968年5月21日の日記に、とりとめのない話題の中に、ドン・ファンには孫がいるということがわかります。(P35)(名前はルシオ。この巻の少し後で登場します)

「ラ・カタリーナ登場」で出てくる「義理の娘」との関係はどうなのでしょう?(教え78)

後の話題で、ドン・ファンの息子が事故で亡くなったことをあたしたちは知りますが、ドン・ファンに何人の子供がいるのかは不明です。(『無限の本質』で息子が登場します。この息子と事故の件の関係が不明です。pendingにさせてください)

追記2017/4/10)残念ながら、その後、関連情報は見つかっていません。

一人息子と仮定しますと亡くなった息子の嫁が上記の「義理の娘」、孫は彼らの子供ということになります。

第一巻目に続き、この巻でもカルロスは、依然として西洋の合理的な解釈にこだわります。東洋風の深い知恵を持つ老人と、科学と文明の申し子である西洋人が出会って最初は未開人をなめてかかる西洋人が老人の知恵に傾倒していく、というのはこのテの話の設定として欠かせないパターンです。

1968年5月22日の日記では、最初にペヨーテを体験したときのホスト、ジョンも交えてミトテの運営には、実はこっそりと合図(参加者たちのキュー出しなど)や合意形成があるのではないかと主張しますが、あっさりと否定というかむしろ馬鹿にされてしまいます。

カルロスが弟子修行再開する決心がつかないのを見たドン・ファンは彼の復帰への一歩として、また「騙す」必要があると伝えます。

以前、お前をだました。わしの恩師がわしをだましたようにな」(分離40)

以前、だました、とあるのはカルロスに数年前におきた女呪術師ラ・カタリーナとの”戦い”を指します。

また、「わしの恩師がわしをだました」とあるのは最初にこの『分離したリアリティ』を読んだとき読者は、サラっと流してしまいます。ドン・ファンがいかに酷い目にあわされたかはシリーズ後半になってようやく明らかになります。

ドン・ファンシリーズは、日記(ジャーナル)とさらにそこで語られる思いで話のようにエピソードの時系列が入れ子になって錯綜するために出来事の前後がわからないときがあります。
それを、おさらいしたいなというのもこのブログ記事の目的(楽しみ)の一つなので確認しました。

前述のドン・ファン捻挫事件が、1961年11月23日(教え78)。
『分離したリアリティ』では、その後の詳細が書かれています。(分離252)

ここでは、捻挫の日から10日後(おそらく61年12月3日)にドン・ファンを訪ねると捻挫がすっかり良くなっていたと書かれています。
おそらく、この捻挫もカルロスをだますための芝居だったのでしょう。
じゃ、嫁もグルか?

この日に、一旦ドン・ファン自身がカタリーナと相対するための旅に出ますが失敗(したことに)します。その後(12月4日以降)、「数か月」この件についてドン・ファンが関わらなかったとあるので、、カルロス自身とカタリーナとの対決(対決内容はあらためて)が1962年の中頃までに起きた出来事だということがわかります。

ドン・ファンは、その一件が済んだあと、カルロスに、一連のカタリーナ事件はドン・ファンが仕組んだ罠(芝居)だと告げます。カルロスの怒るのなんのって。

『分離したリアリティ』のこの箇所では1968年の記事ですから1962年は、6年も前のできごとだということがわかります。

では、本稿の最後ということで、以前、ドン・ファンが夕暮れが世界の裂け目といったフレーズを書きましたが、ここでは「暗闇(日中の暗闇)は「見る」のに最良の時だ」(分離36)と言っています。この台詞の英語版を掲載しておきます。
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He said the darkness――and he called it "The darkness of the day"――was the best time to "see."

どこまでも意味深です。

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