2016年9月9日金曜日

旅5 責任をもつこと

1961年4月11日の日誌は、二日前の4月9日の早朝訪問から始まります。

三か月間、ドン・ファンを訪れてなくその間、白タカのことが頭を離れなかったそうです。

こうした訪問時期を自分のドン・ファン年表を埋めてみますと確かに、『ドン・ファンの教え』で空白になっていた時間が埋まっていくのが不思議です。
虚構に満ちたドン・ファンの語りの中からわずかな真実が浮き上がってくるような気がします。

ドン・ファンにさっそく、最初にノガレスで出会ったときの神秘的な視線や自分しか知らないはずの白タカの話を指摘したこと。自分に見えた影が死であるといった神秘的なことなど一連の不思議なことを挙げて自分にいったい何をしたのだ?と聞きます。

ドン・ファンに説明を求めるといつも少しだけ論点をずらされてけむにまかれてしまいます。

おまえの悪いところは自分のしとることに責任をもちたがらんことだ

責任にかんする話題への導入としてカルロスと父親の関係に話題が移ります。(旅70)

カルロスの父親は肉体を鍛えることが健康な身体が重要だといつも説いていたそうです。
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わたしが八歳のとき、彼はまだたったの27歳だったのだ。だいたい夏になるときまって街(そこの学校で教えていた)から戻り、少なくとも1カ月はわたしの住んでいた祖父母の農場で過ごしたものだった。わたしにとっては耐えがたいひと月だった。
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既報の通り、この父親の話は作り話ですね。またタイム誌へのインタビューでは、彼の父親が17歳の時にカルロスが生まれたと言っていますので上記の父親の年齢とも齟齬があります。

帰省したカルロスの父親は、毎朝六時に水泳に行こうと決めておこすくせに、いつもなんだかんだ理由をつけては中止し10時まで二度寝してしまう。毎朝、この儀式を繰り返し、最後はカルロスが目覚ましのセットをこばんで彼の気分を害するという繰り返しだったと。

自分の父は弱く、一度も理想のために実行することができなかったというとドン・ファンは父親が実行できなかったのならカルロスがやるべきだったと言いました。
それはカルロスが自分の決断に責任をもたないから、いつも不平ばかり言っているのだというのです。
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自分の決断に責任をもつってことはだな、そのためになら死んでもいいという覚悟ができとるってことだ。
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そんなバカげたことのために喜んで死ぬものはいない、と反論しようとすると
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どんなことだってほかのことより重大だとか、そうでないとかいうことはないんだからな。死が狩人であるような世界では、決断に大小なぞないんだ。避けられない死の面前でする決断しかないんだよ(旅74)
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なぜこんなこと話をするのか?と尋ねると、ドン・ファンはおまえに”ジェスチャー”をやったといいます。これはドン・ファンの新たな「呪術用語」でしょうか?
続く章でも登場します。なんとなく、「ある行為をしかけて影響を及ぼす」みたいにとれます。
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おまえだっておやじさんのために泳げば彼にジェスチャーができたのに。(旅75)
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これは、カルロスが自分で行動を起こせば父親に「影響」を及ぼせたということではないかと。それがカルロスがとるべき責任だったということでしょう。

午後に散歩に出ます。
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彼は歩きながら話をするのをいやがるということに気づいた。わたしが話しかけると、それに答えるためにいつも立ち止まるのだった。(旅75)(体術)
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B.B.キングも歌う時はギターから手をはなしてますな。

ドン・ファンはそこでカルロスにインディアンの逸話を語って聞かせます。
ある若者がそれと知らず呪術師の老人と出合い、自分の決断に責任をもたなかったことにより自分の行動の結果に不満しか持てなかったという舌切り雀系の話です。

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