2016年9月17日土曜日

旅10 力が自分に近づきやすくなること(2)

1961年8月19日の日誌ですが、前日の8月18日のことを記しています。

ややこしいですが『教え』の方では20日の日誌に19日の夜、ドン・ファンと話した弟子の心得や盟友についての話題が記されています。連泊しているわけです。

その18日の朝、ドン・ファンを車に乗せて町のレストランに行って食事をします。ドン・ファンが暮らしている農村は、町からそれほど遠いところではないということがわかります。

その後、再び峡谷にいき大声で話しながら精霊を誘い出そうとします。
ここが力の場所だから、ここでは力についてだけ話そうといい説明をはじめます。
ドン・ファン・シリーズには『力の話』というタイトルの本がありますので説明の整合性については後の課題としておきます。

次にドン・ファンは力への第一歩として『夢を使う』方法を教えてやるといいます。

今夜、おまえは夢のなかで自分の両手をみつめねばならん」(体術)

これはドン・ファン・ファンならよく知られている夢見の初歩の初歩ですが、カルロスは、実はこの時、ドン・ファンに本当は「自分のペニスを見るように」言われたのだが出版社にやめさせられたのだとエイミー(後の恋人)に言っています。(Amy78)

しかし、これはエイミーを虎視眈々と狙っている(女たらしって意味の)ドン・ファンのカルロスですから少しずつ卑猥なフレーズで彼女を慣らしていくためのジョークだと思います。
なぜなら夢の中では裸でいるとは限りませんし、来ている服を脱ぐのであれば初心者向けのテクニックではありえないと思うからです。

実際に話を『旅』に戻しますとドン・ファン自身が「もちろん、なんだっておまえの好きなものが見られる―つま先とか、腹とか、ちんぽこ(pecker)とか、その点ではな。わしが両手と言ったのは、それがわしには一番見やすいからだ」(旅149)

でしょ?

ところで『コンシャス・ドリーミング』という本の中で著者のロバート・モスは、ドン・ファンの夢のコントロールテクニックについて夢の自律性を損なうといった観点で批判しています。(「夢見」について少し知識を得ようと一冊買ってみたところ記載があったのでコメントしておきます)(pending)

この後、夢見の入門テクニックがドン・ファンの口から語られていますので興味のある方は本編をご覧ください。

夕暮れになり再び歩き始めた二人。途中、ドン・ファンが何かの予兆に合うごとに方角を変えて丘のそばにたどりつきます。

ドン・ファンが「あそこだ!」と声をおしころしていった先に見えたのは死にかけた不気味な動物の姿でした。(旅154)

この下りは猛烈に映像的で語り口も素晴らしくカルロスの体験談としては白眉と言えます。

その後動物の正体をつきとめて調子にのるカルロスですが、ドンファンは、それはカルロスの勝利ではなく、「すばらしい力、あの乾いた枝に命を吹きこんだ力をむだにしちまったんだ」と言います。
カルロス「にとっての勝利というのは、そのままにしておいて、世界がその存在を止めるまで力の後をついて行くことだったのだ」言いました。

あれは「本当の動物だったんだ。そして力がそれに触れた瞬間、そいつは生きとった。それに命を与えたのは力なんだから、そのコツは、”夢”の場合と同じように、その光景を持続させるってことだ。わかるか?

うろたえたり、興奮や恐れで混乱することなく、自制をきかせて必死に『世界を止める』努力をするべきだったのだ。
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カルロスが「世界を止める」ってどういうこと?
とたずねます。

ドン・ファンは、
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恐ろしい顔をして、それは力を狩る者が使うテクニックであり、それによってわたしたちが知っている世界を崩壊させるテクニックだ、と答えた。
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いよいよ、この巻の最重要課題である「世界を止めること(Stopping the World)」が登場しました。

この章に以下の描写があります。
場面は動物の正体がわかったあとドン・ファンがカルロスをすわらせて話そうとするところです。
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ドン・ファンが小枝を使って、凹地の底にたまった土をかき出した。
「ダニを追っぱらわにゃいかん」と、彼がいった。(旅155)
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またまたデミルの指摘に呼応する内容なのでメモしておきます。(pending)

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