2016年8月20日土曜日

巨大ブヨとの出会い (第二部「見る」という課題 分離7 もうひとつの世界の守護者)

さて、数日『分離したリアリティ』から離れていましたが、続きです。

カルロスは、やめようと思っていたきざみ(mixture)を再び吸う決心がついたために1968年11月8日にドン・ファン訪問します。

煙を恐れるカルロスにドン・ファンは、おまえは明晰さを失うのを恐れているのだといいます。

「知者の第二の敵、明晰さがお前の前に立ちはだかっとるんだ」(分離143)

一巻目で語られた四つの敵の一つについて触れています。

あたしは、ドン・ファンシリーズで語られている「小暴君」だの「捕食者」だの各種謎めいた用語や概念がまるで思い付きのように登場してその後、フォローがないのを訝しく思っています。

もとは「カルロスの話が本当だったらいいな」というスタンスですので、このエピソードのように整合性が取れているコンテクストがあると少しホっとします。

特に例の「高められた意識」に持っていくための肩甲骨の間を叩く動作は、残念ですが、ここまでまだ一度も出てきていません。

追記)それっぽいところを一か所見つけましたが・・・

追記2017/5/15Sustained Reactionでも、あたしと同じような疑問をもった人が、サイト管理者でありカルロスの「信者」だったDavid Lawtonに、「背中を叩かれたか?」と質問をしていましたが、「ない」と答えています。

翌日の11月9日(午後3時)にいよいよきざみを吸うとまた「番人」(the keeper)がやってきます。
番人や守護者といった言い方が結構、混在して使われているので気になっていましたが、ここではドン・ファンは番人をキーパーと言っています。

横になったカルロスに、左目だけでござの一点をじっと見つめていればそのうちに番人が”見”えてくるだろうと言いました。(分離145)(体術)

現れた「番人」は、ブヨ(gnat)でした。
ラリってるカルロスが見たブヨは巨大化してビビらせます。

ブヨ。最悪な連中ですな。あたしは田植えで噛まれた結果、なんだか体質が変わってしまいまして、その後、軽い虫さされでも皮膚が過剰に反応するようになってしまいました。
田んぼの番人だったのでしょうか。

番人との邂逅の後、幻覚から目覚めさせるためにドン・ファンは、カルロスを家の裏にある灌漑用水路に連れていって、裸にして何度も水につけて引き上げます。

目が覚めた後も、カルロスは水路の浅い底に横になっているとドン・ファンがカルロスの足の裏をやさしくたたいて回復を促進させました。(体術)

翌日(11月10日)のおさらいの際、ドン・ファンは、「番人」のことを以下のようにいっています。
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The guardian, the keeper, the sentry of the other world
守護者、番人、別世界の歩哨(分離147)
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メスカリトのことも守護者と言っていますので、思いますにドン・ファンはそれほど言葉の定義を厳密に言ってないのだと思います。

カルロスが、”あれ”が何なのかどうか念をおしますとドン・ファンが答えます。
「あれが守護者だ。もし”見たい”ならあいつに打ち勝たねばならん」(分離148)

このセリフの”見たい”は、守護者を見たいのではなくて、世界の本当の姿を見れるようになりたいのなら、勝て、と。

でも、この後、シリーズ通してカルロスが実際に勝ったのか負けたのかさっぱりわからないんです。

この類の試練というかドン・ファンがカルロスに課すタスクってカタリーナとの対決しかりラ・ゴルダ一味との再会劇しかり勝負?の結末がはっきりしないのが消化不良になります。

逆に白黒はっきりしていないところが「真実」らしいといえなくもないか。

忘れないように書いておきますと、シリーズ後半ではカスタネダは、新しい時代の呪術師の一団を率いるリーダーとして立つことになります。
ということは一流の呪術師としての資格があるとドン・ファンに認められているってことですよね。

追記2017/5/15)私見ですが、シリーズ後半との関連で解釈するのは意味がないことがわかりましたので上記の記述は流してください。

一流の呪術師は、”見る”ことができるはずです。”見る”ことができると前述のように人が「光るタマゴ」のように見えるようになるらしい。

訂正)アップしてすぐに追記ですいません。呪術師であることと見える能力は関係がないそうです。『分離したリアリティ』の後半の戦士に関するディスカッションで明らかになります。

しかし、シリーズを最後まで読んでもカルロスは一度も自分が”見えている”と読者に断言することはありませんし、修行のどこかで”見えるようになった”時のことを記録にも書いてありません。
もし、書いてあったとすると喜んだ瞬間とかを記すと思うのですが。

「おいら見えた!光繊維がタマゴのヘソのあたりから出まくってるぞ!」

みたいな(笑)
でも、シリーズの中のカルロスって日本語訳の言葉使いのせいもあるかもですが最後の最後まで初心者みたいな感じなんですよね。

もしかすると、カルロスは本当は免許皆伝しなかったのでは?

追記2017/5/15)してません。

この考察、ドン・ファンの物語が事実だったという前提になっていますが、もしかすると読み終わった内容に「光るタマゴが見えている話」があったのをあたしが忘れているだけかもしれないのでここでは仮置きとさせてください。(ペンディングにしていましたが、ハッキリせずじまいでした。)

カルロスは、11月11日にもきざみを吸いましたが、この日は守護者に会いませんでした。前回同様、酔いを醒ますために、また灌漑用水路で水につかっています。(分離154)(体術)

ところで、きざみ吸引では、もうひとつ腑に落ちないところがあります。
昔、カルロスが煙を吸ったときには、身体が溶ける幻覚で恐慌に陥りましたが、今回はその現象は報告されていません。
なぜ、ここ数回は番人との出会いが実現するのでしょうか?

この章の最後では、ドン・ファンが一時期、呪術から5年半遠ざかっていたことがある(分離155)という話が出ます。ドン・ファンの修行時代は後半でたっぷりありますので記載だけしておきます。

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