2016年12月24日土曜日

Amy(6) 2 しばらくして(2/3)

カスタネダとの再会に至る話の続きです。

1976年、兄夫婦(David and Flora)はカルロスとロサンゼルス図書館の資金援助の会で遭遇した。カルロスはいきなりドン・ファンがこの世界から去るために燃える準備をしていると話しだした。

このエピソードについては、すでに各所で触れていますが、一般にドン・ファンが73年に去ったといわれている時期とかなりずれています。

カルロスは絶望的になっていて他の本物の先生を求めているがみんな偽物だと言っていた。(Amy30) 

このパートについては以前の投稿で言及しました。いろいろな例をあげて面白おかしく紹介しています。

ドン・ファンから免許皆伝をもらっているような人物が今更、先生を探すでしょうか?
Amyも同様のことを述べています。

カルロスは、エイミーの父が亡くなった後も、よく父の声音をまねて思い出を語った。

このエピソードからもカルロスとWallce一家とのつき合いの深さと長さがわかります。

強烈な思い出がある。1983年。実家にいたらカルロスから電話がかかってきた。
ラ・ゴルダが去ってしまった。彼女は魔女の中でもっとも強力なメンバーだったのに。彼女は去った。僕の目の前で消えてしまったんだ。彼女は自己中心的な性質が原因で死んだんだ。彼女は僕には、ナワールの資格がなくダメなので、彼女がナワールでリーダーだと決めたんだ。もう、僕はひとりぼっちだ。ドン・ファンに後を任されたのに約束を果たせない」(Amy33)

ラ・ゴルダがはじめて登場するのは、ご承知のように『力の第二の環』からです。
『力の第二の環』は、1977年の出版。この電話事件があった1983年は、1987年出版の『沈黙の力』よりも後の出来事なので整合性はとれています。

わたしは、そのころ、I Ching(易経), the Tao de Ching(老子道徳教), Zen(禅)、仏教の経典、スフィ哲学などの東洋哲学に惹かれていた。

あたしがアメリカで太極拳を習っていたことは以前、記しました。そのクラスでも休憩時間に老子の朗読をしていました。当時は、西洋人たちはこうした東洋哲学に夢中だったんですね。

あたしが米国をさるとき、仲良しだったT. S.は、C.G.ユングの序文がある英語版「易経」をプレゼントしてくれました。のちに、このテキストを利用して作った易占の(稚拙な)プログラム(今でいうアプリですな)がコンテストに入賞したことがあります。

私は、そのどの分野でも指導者たちはとりみだしたりしないことを知っていた。
また、カルロスの本でもドン・ファンが息子の死に際し、見ることにより悲劇を乗り越えたことを読んでいた。わたしはそのような能力にあこがれていた。(Amy33)

カルロスは、そんなドン・ファンの弟子の呪術師なのにとりみだしたりするのは変だと思ったが、カルロスが紹介した世界の方が仏教などの世界に比べてはるかにエキサイティングだった。(Amy34)

0 件のコメント: