2016年11月9日水曜日

C.J.カスタネダの話(2)『ドン・カルロスの教え』(26)

マーガレットとGerritsen ~ 彼は当初、ソルトレイクシティにいる女性と既婚だった ~ は、しばらく後にメキシコで結婚した。

新婚の二人は所帯を持つことはなかったが、1961年の8月に男の子が生まれた。

誕生して間もなく、カルロスがマーガレットを訪れ、メキシコで行った離婚の手続きはカルロスが研究活動をしている間、彼女をなだめるための芝居だったと告白する。
その内、いつかまた一緒に戻れるだろうと期待していたのだといった。

実は二人はまだ婚姻状態にあって彼女が生んだ子供を養子にしたいのだという。

ってことは、この時点でGerritsenさんとは離婚してたのですかね?
彼らの婚姻がカルロスの策略というか差し金ということだとすると、離婚も計画の内ですか? マーガレット的にみると本当に酷い話です。

カルロスは、ブロンドの男の子によく会っていてすでに気持ちが入り込んでいた。彼は男の子をCho-choと呼び、子供はカルロスをKikiと呼んでいた。

カルロスは男の子をいろいろなところへ連れて行った ~ 海や山、カルロスのパワースポットだったTopanga Canyonや映画に連れていった。

Topanga Canyonは、例のGabiたちの家があるところです。
もしもメキシコでの修業が虚構だったとすると、彼が描く山や谷の風景はTopangaだったかもしれませんね。

人々は栗色の髪の男性がブロンドの少年を肩にのせてでかけているのをよく見たものだ。
カルロスは、Cho-choをUCLAの授業にも連れて行った。人に尋ねられると、カルロスはCho-choのことを血がつながっている息子だと答えていた。見た目の違いを言われるとスカンジナビア人の母親似なんだと言っていた。(マーガレットはウェスト・バージニア生まれの米国人)

Cho-choが二歳(1963年)のとき、カルロスがマーガレットのアパートに現れた。カリフォルニアの厚生省(Department of Public Health)の書類を持っていた。書類には、カルロスがCarlton Jeremy Castanedaの実父であると記載されていた。マーガレットとGerritsenの関係はとうに解消されていたのでマーガレットは書類にサインをした。
少年には父親が必要だった。カルロスだけが少年が知っている父だった。

それから5年あまり(~1968年)、カルロスとCho-choとは頻繁に一緒に過ごした。カルロスの借家によく泊まった。朝は、Cho-choがすくすく育つようにバナナやハンバーガーを食べさせた。手をとって学校まで送って行った。夜はカルロスが本を書いているので、後に魔女になる二人の女性たち―フロリンダ・ドナー・グラウとキャロル・ティッグスがベッドで本を読んできかせた。

こんなほほえましい風景とカルト集団。実にアンビバレントです。

夜寝る前、Cho-choはカルロスのデスクの横に立って「なにを書いているの?」と尋ねた。「Cho-choのための本を書いているんだよ」とカルロスは答えたものだった。
「お前がこの本をすごい魔法の本にするんだ。お前はこの地球で一番すごい呪術師なんだからね」

金銭面で問題はあったが、カルロスはCho-choをサンタモニカにある特別なモンテソリ教育の学校に通わせたいと主張し授業料を工面した。

当時のCho-choのクラスメートにはチャールトン・ヘストンの娘がいた。

カルロスは、Cho-choの医療費や洋服代も出したし、空手やスキー教室の費用も出した。彼は養育費をマーガレットとの正式な離婚が成立する70年代の半ば(1973年12月17日)まで払い続けた。(C.J.12歳まで)

0 件のコメント: