2016年11月10日木曜日

C.J.カスタネダの話(3)『ドン・カルロスの教え』(27)

末尾に追記あります。

C.J.が7歳のとき(1967年)、マーガレットとC.J.はロスを離れた。
カルロスはものすごく辛かった。

カルロスは何年間もマーガレットとC.J.に二人を愛し続けていると手紙を書き続けた。
そして少年のために貯金を残すつもりだった。

「昔、君が住んでいたThe (San Fernando) Valleyの古いアパートに二日前に寄って来たんだ。とても感傷的な気持ちになったよ」と1967年の8月、カルロスはマーガレットに手紙を書いた。

「きみたちは僕の家族だ。愛するMargarita。君には本当に世話になった。
きみのおかげでぼくの美しくて魔法のような夢、Cho-choと出合えた。君がその夢をくれたんだ。この夢にくらべれば他の夢なんてどうってことない・・・。元気で!かわいいCho-choによろしく!またCho-choとハイキングに行こうと伝えて」

次の年(1968年)、カルロスは、初めての著書をCho-choとマーガレットに捧げた。『The Teaching of Don Juan』。

今はあたしのPDFライブラリーになっているペーパーバックを見るとこんな書き方でした。
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For don Juan ー
and for the two persons who shared
his sense of magical time with me
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ドン・ファンに ~ そして、ぼくと彼の魔法を分かち合った二人のために


そして続くシリーズの中でもたびたびC.J.について言及している。
ドン・ファンに「むかしぼくが知っていた少年」について話し「これだけ時間が経ち、距離が離れてもぼくの気持ちはまったく変わらない」と言った。

1978年、カルロスはC.J.のアリゾナのTempeにあった高校卒業式に出席し、その後の3年間の大学の授業料を支払った。
数年後、ニューヨークで少しだけ付き合いが復活したことがある。

しかしクリアグリーンや他の会社が設立された1993年あたりから、C.J.とマーガレットに連絡をしなくなった。C.J.はくりかえしカルロスに電話をしたり手紙を出したが、クリアグリーンのメンバーに阻止されてしまった。クリアグリーンのメンバーは、カルロスの外界との接触をすべてコントロールしていた。
他の友人やUCLAの教授たちも同様に連絡を断られていた。

魔女たちはカルロスの財産が狙われていると思ったのでしょうか?
よくある話です。

1993年の10月、カルロスが講演をすると知り、C.J.は、カルロスに会うためにサンタモニカまで飛んだ。(カルロス67歳。C.J.33歳)

C.J.は、(講演会が催される)書店の表にある駐車場で待ち構えていた。そしてカルロスががっしりしたハンサムな若者を見つけると大喜びした。

カルロスはC.J.を情熱的に抱きしめ、両頬にキスをし、背中をさすり優しく話しかけた。だが、二人の再会は短時間に終わった。二人のChacmolがきて、ひとりはカルロスをもう一人がC.J.の腕をつかみ乱暴に押しやった。

この書店は、おそらくニューエイジ系専門店の「ガイア・ブックストア」です。この場所については、項目をあらためて書きたいと思っています。
追記2018年6月29日)
間違いかもしれません。マーガレット・カスタネダの回想録『カルロス・カスタネダとの魔法の旅』によると、サンタモニカのフェニックス書店(the Phoenix Bookstore)だそうです。
ただ『カルロス・カスタネダとの魔法の旅』のエピソードと出会いの雰囲気が若干が違うのが不思議です。

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