2016年10月19日水曜日

”フォロワーズ(The Followers)”の話(前篇)(3)『ドン・カルロスの教え』(5)

一般の人間には、呪術師は、カルロス・カスタネダの名前で知られていた。

1968年、サイケデリックエイジがブームの頃、彼は『ドンファンの教え:ヤキの知恵』を発表した。

12冊に及ぶシリーズの最初の本でメキシコの砂漠で暮らすインディアンのシャーマンに弟子入りして修行し、呪術師が体験する別の世界への旅の様子を記録したものだ。ヘルマン・ヘッセの『ステッペンウルフ』とオルダス・ハクスリーの『知覚の扉』と並んで、ドン・ファン・シリーズは、次の30年間、真実を求める人々のための必読書となった。

あたしも真実をもとめてこの歳になりました。

カスタネダ本人もカルト的な人気を博した ― 彼とは会えない、伝説的なちょうどティモシー・リアリーとL・ロン・ハバードを合わせて二で割ったような感じだ。背は低く、栗色の髪のブッダのようでメキシコ人のベルボーイのようだ。

栗色の髪のブッダってなんだ?

7か国語で1000万冊も売れている本の作者なのにカルロスは30年間、彼の言葉によると可能な限り”アクセス不能”を守り、居所不明を通した。

多くの人々は、彼はソノラ砂漠のどこかにいるのではと推測した。ソノラ砂漠で彼はドン・ファン・マトゥスという名前のインディアンの老呪術師に師事したからだ。

ドン・ファンは、何年も前に自分の身体とブーツを閃光とともに”第二の注意力”に旅立たせた。カスタネダは、金の留め金と一緒に残された。

この下り、記憶にないんです。読み飛ばしてたのかもしれないので、再読で確認します。(pending)

だが、実際は、カスタネダはここバークレイヒルズからほど近い大学教授や学生たちが暮らす界隈であるWestwood Villageに住んで執筆をつづけていた。
実際は、人々が想像しているような遠くにはいなかったのだ。


Google Map ありがとう!! 感動しました。

The Followersは、住まいも当然調べ上げていた。
中でも自分たちが撮影したビデオが自慢だった。

呪術師の重要な信条に「履歴を消す」というものがある。カスタネダは、決して写真撮影や録音を許可しなかった。

今だったら、小型のICレコーダーやカメラが発達しているので逃げられないでしょうね。

彼が行った最後の正式なインタビューは1972年にタイム誌が行ったものだが、それですら顔が全部写る写真撮影をさせてもらえなかった。
結局、表紙は抽象的なイラストで決着した。
記事のタイトルでは、カスタネダを”トルティーヤにくるまれた謎”とした。

週3回、18カ月以上、グレッグとガビはこの秘密の巡礼を続けていた。

二人は、カスタネダと仲間たちをつけ回した。レストランや映画館、そして内輪で催される練習会など。
あらゆる機会をとらえてビデオに撮影した。何時簡にも渡るビデオ素材は、とても貴重なものだった。

The Followersは、自分たちが一体何を追っているのか確かじゃなかったし何か確証があるわけでもなかった。自分たちがやってることが覗き屋的でパパラッツィのようでちょっとダサくてしつこいとも感じていた。

まるで両親のセックスを覗いている子供のようだと思っていた。しかし一方では、自分たちが ~ アマチュアであるにもかかわらず ~ 正式な文化人類学の実習をやってるようにも感じていた。

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