2016年10月3日月曜日

旅19 世界を止める

翌日(1971年5月23日)は、前日の車消失事件のおさらいをします。
いつまでも合理的説明を求めるカルロスにドン・ファンがいいかげん覚悟をきめろと迫ります。(旅332)

わしらは二人とも、いずれ死ぬ身だ」彼が静かに言った。「しなれたことをする時間はないんだよ。わしが教えてやった”しないこと”をみんな使って”世界を止め”にゃいかん」といいます。

あの(南東にある)やさしい山へひとりで行ってこいと言われ一人で過ごします。

カルロスは山の中で、かぶと虫を見て死について考えます。
虫と自分が平等な事実を実感し感動して涙します。

かなり遅いなと思いませんか?ふつう、10代で気がつきますよね。

そしてコヨーテに出会い、話しかけ対話をします。そのうちコヨーテが輝き始め山々を見ると『世界のひも』が見え、至高体験を体験(日本語ヘン)し眠り込みます。

上の行の「至高体験」の記事をみると元は2005年。あたしの趣味は代わってません。

舞台は、翌朝(1971年5月24日)のドン・ファンの家。
コヨーテと話した報告をすると昨日の体験は「世界をとめた」だけだと言われ、背中をたたかれます。(旅340)

ところで、世界が止まるときの「止まったもの」とは「人が世界はこういうものだぞ、とおまえに教えてきたこと」だそうです。既成概念ですな。

以下、いい話ですので引用します。
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「きのう、世界は呪術師がおまえに教えたような世界になったんだ」
「その世界じゃコヨーテはしゃべるし、シカもしゃべる。(中略)だが、わしがおまえに学んでほしいのは、”見る”ってことだ。たぶんおまえにも、”見る”ってことは、ふつうの人が世界と呪術師の世界とのあいだに入り込んだときしか起きないことがわかったろう。今、おまえはその二つの中間にいるんだ。(後略)」
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二つの世界がどちらも現実じゃないのかと聞くと、どちらも現実の世界でカルロスに働きかけることができると答えます。

コヨーテに知りたいことをきくこともできる。しかしコヨーテは”トリックスター”だから信用できない、とドン・ファンがいいます。

トリックスターは、tricksterという英語ですが、あたしがこの言葉を知ったのは18歳くらいの時、ユングがはじめて一般人向けに書いたユング心理学入門書『人間と象徴』を読んで知りました。

いまでこそ、日本語でもこのように一般的に使われていると思いますが、カルロスとドン・ファンの時代の英語圏の人たちの間ではどうだったのでしょうか?

英語ネイティブの年配の人に尋ねたいです。
このことば普通の英語ネイティブの人たちが昔から使っていた言葉なのでしょうか?
英英辞典によると「神話・文学」用語と書いてありました。
ドン・ファンのようなおじいさんが使うような用語なのでしょうか?
このあたりから急にドン・ファンがインテリになってきていると思います。

カルロスは、ドン・ファンに「(おまえは山で)世界のひもを見たから、盟友と会う準備はできたな」といわれます。
もう何度も会ってるじゃないと思いましたが、盟友を手に入れる準備ができたということらしいです。

彼(盟友)はきっと、わしのためにおまえを連れて行く平原の端でも、おまえを待っとるだろうよ」(旅342)

ジェナロもきっと、その谷へわしらといっしょに行かにゃなるまい」「おまえが”世界を止める”のを手伝ったのは奴だからな

後に明らかにされますが、ドン・ファンとドン・ヘナロは両者ともカルロスの教師なのだそうです。

ドン・ヘナロが車を消したのはカルロスの既成概念を緩めるために強制的に呪術師の世界を見させたために起こしたシンプルな事象なのだそうです。

カルロスが”見る”ためには盟友がカルロスに組みつかなければならないが時間がないといわれる。(旅343)

ここで時間がないというのはドン・ファンたちの(現世を去るまでの)時間がなくなってきているという意味かと思います。

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