2016年9月11日日曜日

旅6 狩人になる(2)

荒野の散策途中、ガラガラ蛇を一匹捕まえてさばいて食べたそうです。

ドン・ファンは、ヘビを殺すとき謝る。ヘビも自分たちも平等だといいます。
生き物を殺生して自分が生きる際に、感謝するというのは世界中共通の作法ですね。
これは、ドン・ファンに限らずけっこう知られている考え方なのでカルロスが他の宗教や民族を引き合いに出して語らないのは文化人類学の研究者としては不思議な感じがします。

動物を殺して料理したので昔、カルロスのおじとおばが袋につめた鳥をなんでも『キジ』(pheasants)と呼んでいたことを話しました。

ドン・ファンはカルロスに狩人の才能があると言います。
自分の良い場所、悪い場所を簡単に見つけることができたのは「狩りのコツを知っとるということだ」そうです。

狩人談義の中で、ドン・ファンも人に教わって狩りのやりかたを学んだといいます。
カルロスはドン・ファンの先生に興味を持って突っ込みますが詳しく話してくれません。

ドン・ファンが狩人が男のなかでも最高だといったことを受けカルロスがいいます。
「ヤキ・インディアンは、狩人のことをそう感じてるの?そこが知りたいんだ」
「かならずしもそうじゃない」
「ピマ・インディアン(the Pima Indians)は?」
「ぜんぶがそうじゃないが、一部の連中はそうだ」

ピマの一族というのは、アリゾナ南部で暮らしているネイティブアメリカンの部族だそうです。

あたしは男のなかで最高なのは重量鳶だと思います。

さて、なぜドン・ファンは自分のためにこういうことをするのか尋ねるとドン・フアンは「おまえにジェスチャーをしとるんだよ」と言います。

「こういうこと」ってなんでしょう?自分が学びたい植物のことをストレートに教えてくれずに戦士になれとか狩人になれとか履歴を消せとか一連の作法や考え方を伝えて指導することを言っているのでしょう。
カルロスの父親の水泳のエピソードから推測すると、ドン・ファンのいう「ジェスチャー」は、日本語でいう”範を示している”と取っていいのかもしれません。

いきなりドン・ファンが「ええと・・・わしらは平等か」と聞きます。
ふいをつかれたカルロスでしたが「もちろん平等さ」と答えます。
実は内心は自分たち西洋文明人の方がインディアンよりいろいろ勝っていると思っています。

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「いいや、ちがう」彼は静かに言った。「わしらは平等じゃない」
「なぜ、ぜったいにそうだよ」わたしは言い返した。
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カルロスの否定は、心の内から考えますとドン・ファンを持ち上げて言っているわけですが・・・
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「ちがう」彼はやわらかい口調で言った。
「わしらは平等じゃない。わしは狩人だし戦士だが、お前は下郎(pimp)だからな」
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いきなりドーンっとガケから突き落とされます。

原文のpimpってのは「ポン引き」です。翻訳するとなると往生しますね。
ここではドン・ファンは人に仕えている者という意味で言っているようです。

あたしたちは、シリーズの中の殊勝な若者(実際は中年男性)のイメージに縛られていますが、実際のカスタネダは下郎というか、今後少しずつ書いていきますが、あなたやあたしたちより最低の下衆野郎です。

ドン・ファンは、まさにそれを言い当ててるわけですが、ドン・ファンが架空の存在とするとカスタネダは自身のことをわかって書いているってことですよね。

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